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Nスペ

東京裁判

 

城山三郎の落日燃ゆ。

山崎豊子の二つの祖国。

 

 

読んで、少しは知ってたけど。

 

政治家は責任を負うための存在ではあるのだけれど、A級戦犯たちの立場で他の選択肢があったのだろうか?そして自分がその立場になったときに違う選択ができるのだろうか?

 

完璧な人間なんていなくて、誰しもミスを犯す。

その場その場で最善の選択だと思ったものが、非常時では一瞬の遅れで最悪の選択になってしまうこともあるし、太平洋戦争開戦前後のあの時にはまさにそうだったんだと思う。

 

戦争を望んでた人たちがいたことは否めないけれど、戦争を望んでいなかった政治家や軍人は少なくなかったと思う。

 

後出しジャンケンで裁いた、東京裁判というものに意味があったのだろうか。

裁かれるべきは国家であって個人ではなかったと思う。

ただ、国家は裁けないからそのために政治家というものの存在があると言われれば、そうだとも思う。。。

 

不祥事が起きて、秘書がやったことと言って責任逃れする政治家は政治家ではないと思うけれど、政治家も一個の人間であることを忘れて、何かが起きたときに一斉に猛口撃する民衆に対しても違和感を感じる。

 

私たちが歴史から学ばなければならないものは、あの戦争は一部の狂気の人たちがはじめたものでもなく、いつでも終わらせられたのに戦争遂行の名の下にエゴイズムで終わらせられなかったわけでもない。

 

始まる前から始まっていて、あの終わり方じゃなきゃ終われなかった。

人間というものはそういうものなんだと。

だから、同じ過ちを繰り返さないために、一人ひとりがあの失敗を知ることが必要で、同じ選択をしないことが大事なんじゃないかなと思う。

 

成功法則なんてなくて、失敗を避けることしかない。

だから、開戦しないということよりも、どうして開戦に至ってしまったのか、開戦前10年余りの流れを知り、当時の世情や組織の問題点を学ぶことで同じ過ちを犯さないようにしなければならない。

 

誰が悪かったとかじゃなく、国家全体が閉塞感に満ちて狂気を帯び、そして盲進してしまった。

 

誰も悪くない。そして、みんな悪い。

 

あの時代に自分がいたら、どのように振る舞えたのだろうか?